施設のご紹介

生活館 [懐かしい昭和の時代を楽しむ]

昭和10年頃の炭住や戦後の世話所・共同炊事場を復元。
いわきの湯本温泉郷の歴史なども展示しております。

常磐炭田で飯場制度が始まったのは、磐城炭礦に炭住ができた明治30年代のようです。職員、職工(会社の直轄夫)は炭住に住み、一方坑夫、土方の飯場があって、妻帯の坑夫は二坪程度の畳と戸棚しかない納屋(棟割長屋)に住み、単身の坑夫は四坪程度(独身寮)に数人で起居していました。毎日の過酷な搾取と労働の強制に耐えかねて、夜逃げするものもあり、これを「ケツワレ」といい、これに対してはひどい私刑がくわえられました。このような制度は生産意欲をなくし能率を低下させたため、大正3年頃より会社は直轄制度への切りかえを少しづつ行い、昭和3年には飯場の廃止に踏み切り、炭住に生活する全坑夫の生活指導は区長、寮長が行うようになりました。

 

炭住のくらし
炭鉱住宅、通称炭住は労働力の保全の場所であり、労務管理のために組織された地域社会でした。炭住の日常生活における連帯関係を見ると、「区」を統合する世話所があり「区」には隣組の組織がつくられていました。隣組のしくみは、日常の住宅管理(水道、下水、便所などの当番)、や隣組内の冠婚葬祭、引越し、出産などの手伝いと交際、その他世話所からの伝達事項の申し送りなどでした。両隣は他の家々より、生活の全般にわたり密接な関係をもっていました。

 

世話所と共同炊事場
住区にはひとつずつの世話所がおかれ、区内の従業員及びその家族の世話活動を昼夜にわたって行ないました。世話所には労務担当区長と、日勤と夜勤の係員が一人ずつ常勤しており、毎月の賃金支払いもここで行ない、日常の生活指導やその他伝染病の予防、家庭不和の仲裁苦情処理など多方面にわたっていました。このような世話活動によって、従業員が安心して就業できるように配慮されていました。共同炊事場は主婦にとっては情報交換の場であり、井戸端会議に花を咲かせました。

 

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いわき市石炭・化石館  [地図]
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